奉公衆とは?

室町将軍と主従関係で結ばれた武士のことを御家人と言います。そのうち、軍事力を持ち将軍に近侍した御家人は特に奉公衆と呼ばれます。

奉公衆は五つの番に編成されていたため、番衆あるいは番方などと呼ばれていました。

各番の長である番頭は御供衆として幕政にも参与していました。

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足利義満の奉公衆

奉公衆の起源は3代将軍義満が組織した馬廻衆です。

守護大名家の家督相続に介入していた足利義満は馬廻衆を編成し、将軍直属の軍事力を持とうとしました。馬廻衆は守護の追討に大いに貢献し、将軍権威は高まりました。

奉公衆の体制は足利義教の時代で確立した

奉公衆が制度として確立したのは6代将軍義教の時代でした。

奉公衆に選ばれたのは、足利一門や有力守護の庶流、足利氏に古くから従っていた武士、有力国人という三つの階層がありました。

奉公衆の職務は幕府直轄地である御所料の管理、将軍の側近くに仕え平時に将軍が生活する御所に出仕し、番頭の指示を受けながら諸役を務め、将軍が御所から外出するときには警護にあたりました。

そして戦時には将軍直属の軍を率いて出陣していました。

兵数5000〜10000将軍を支えた奉公衆

8代将軍義政のときに起きた応仁・文明の乱でも奉公衆は動員されました。

9代将軍義尚は1487年奉公衆を率い、近江の六角氏を討伐しています。10代将軍義材(義稙)も六角氏討伐を行っています。

明応の政変で11代将軍義澄を奉じた細川政元は専断を行い、奉公衆の体制は崩壊します。

日本史
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