守護・守護代とは?

室町幕府は各国に守護を配置し、国内の武士を統率させました。

国内の武士への支配を強め、被官とする動きが加速されます。

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論功行賞で設置された守護

守護は1185年、源頼朝が弟義経を追討する目的で朝廷に奏請し、各国に設置したのが始まりでした。室町時代になると、守護は将軍となった足利氏の御家人から選ばれます。

鎌倉幕府を滅ぼし、室町幕府創設に貢献した御家人が補任され、論功行賞の色合いが濃かったと言えます。

守護の職務とは

守護の職務権限は、謀反人や殺害人の検断があります。

検断とは、逮捕から裁判に至る権限のことで、初期の守護は軍事・警察の役目をもっており、政治は朝廷の任命する国司が行っていました。

鎌倉幕府が朝廷の権限を吸収していくなかで、守護は国司の持つ政治権力を接収していきます。

有力守護の誕生

室町幕府は創設時に貢献した守護に対し、荘園・公領の年貢半分の徴収権を認める半済や荘園領主らと契約を結んで年貢納付を請け負う守護請などの特権を与えます。

守護の中には複数の国の守護を兼ねるものも現れます。

但馬を本拠とした山名一族は全国68ヵ国のうち、11ヵ国の守護を兼ねていたことから、六分の一殿と呼ばれていました。

強大化しすぎた守護

室町幕府が開かれてから南北朝の内乱期にあったため、守護が南朝に寝返らないように領地をたくさん与えていました。

3代将軍義満は強大化しすぎた守護の力を削ごうと有力な守護を挑発し、反乱を起こさせこれを追討していきます。

1391年には山名氏(明徳の乱)、1399年には大内氏(応永の乱)を討伐します。

6代将軍義教は守護の家督相続にも介入し、それに反発した赤松満祐により暗殺されてしまいます。

義教が暗殺されてからも、8代将軍義政も守護の家督相続に介入し、応仁の乱を引き起こすことになりました。

力を持つ守護代が誕生

守護の中には複数の国を治める者がいたことや在京していたため、任国を実際に支配していたのは家臣の守護代や在地の有力国人でした。

守護が在京で留守の間、直接土地と地元の武士を支配した結果、実力を付けた守護代の中から領主化した戦国大名が生まれました。

中には守護でありながら、領国化に成功し戦国大名となった者もいました。

守護代から戦国大名になった例として、越後の長尾氏、越前の朝倉氏、阿波の三好氏です。守護から戦国大名になった例として、甲斐の武田氏、周防の大内氏、駿河の今川氏、豊後の大友氏です。

戦国大名たちは、領国に適用する分国法を制定し、室町幕府から独立した統治を行っていくことになります。

日本史
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